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青春はぐるぐるだ。

欅坂46新曲「二人セゾン」歌詞内容の意味をじっくり解説するセゾン【考察シリーズ】

はぁ…。

この気持ちは何セゾン?谷川俊太郎さん作詞の合唱曲「春に」バリに、この気持ちは何だろう?

はぁ。

のっけからすんません。二人セゾン、こち星(欅坂のラジオ番組)で銀河初オンエア以来、二人セゾンを、もう天の川銀河の星の数と同じ回数聴いてます(それはない)

はぁ。いつになったらMV公開されるのかな?待てなくて、歌詞についてじっくり考えちゃいました。当ブログの姉さん乃木坂「サヨナラの意味」のMV深読み記事も、未だに読んでいただいてるようで、結構こういうの興味ある方も多いのかな?と驚いてます。

で、この二人セゾンですが…

?

 

ため息の理由

はぁ…。何をそんなにため息ついてるのかと言うと、ですね、これは「嫌だなぁ」のため息でなくて、二人セゾンの世界に入り込んだ直後の、私の声にならない声です。サヨナラの意味のときもそうなんですが、入り込みすぎて、普通に泣きそうになって、思わず空を仰いだときに出る「はぁ…」です。皆さんもありませんか?

え?ない?

 

セゾンという言葉

すんません。前置きが長くなりました。まず、この「二人セゾン」という曲タイトル。「セゾン」はフランス語で、英語だと「シーズン」つまり「季節」の意味。

何でそのままシーズンにしなかったのか。

まぁ多分、シーズンだとほら、あまりにもTUBE感出ちゃうじゃないですか?ストップ ザ シーズン in the sun!じゃないですか。それこそ季節感が無さすぎるので、セゾンなんじゃ…

とか、これは半分ネタですが、言葉の響きで「セゾン」にしてる部分と、シーズンよりも意味がボヤけて、言葉に奥行きが出るんでセゾンにしてるのかなーと。

単純に、言いやすいですし。

欅ちゃんの間でも、語尾にセゾンを付けるのが流行ってるとか。キャッチーですね、この言葉の響きが。チョイスがさすがだなと思います。個人的にはもうちょっと前なら、二人セゾン?…なんかダサくね?と感じたと思う。

んだけど、最近なんとなく80年代の波を感じるので、ちょいダサでもアリというか。一周まわって逆に良く見えるというか。んで若い世代には、ダサくも見えないのかもですね。なんとなくそう感じます。

なんとなくクリスタル。

 

セゾンの意味

曲を聴いて歌詞を読むと、大筋は分かるんです。

「ひきこもってた僕が、君と出会って、変わった。」

っていう。

身も蓋もないんですが。

今回、欅坂も歌ったこの内容は、乃木坂46のかの名曲、「君の名は希望」ともリンクしてくる内容です。坂道シリーズが、誰のどんな気持ちに向けて、歌を届けているのか?が、この2曲から垣間見えて、非常に興味深いです。

ただ、二人セゾンは妙にひっかかる。

何か、それだけじゃないというか、まだまだ深みがある。キャッチーな言葉の裏に、大切な何かがある。忘れてた大切な何かに優しい火が灯る…ってこれはGLAYだった。TERUさんだった。あ、作詞はTAKUROさんか。

ええと、なんだっけ?

そう、だから、これから、二人セゾンをじっくり紐解いていこうじゃないかという話。(まだ前置きだったという事実)

 

違和感の正体は

この、ひっかかりは何だろう?と考えると、やっぱりこの「セゾン」という言葉です。何なんだこの「セゾン」っちゅーのは?と。で、この違和感の正体は何なのかというと、歌詞の中で、扱いが変わるから。…っつっても何なんだか分かりません。

ええと、つまり!

「二人セゾン」だったのが「君はセゾン」になって、最後は「僕のセゾン」になると。君は…僕の…は日本語として同じ扱いにできる。例えば、「花」を当てはめると、君は花、僕の花、とここまではいい。二人花…になると意味が分からない。

セゾンの前につく言葉の、統一性が無いといいますか。「セゾン」という言葉の性質が変わるというか、だーからつまり、セゾンって何やねん!と。

歌詞の物語からして、「セゾン」を「時間」とかにも置き換えられそうですよね。二人の時間がかけがえのないものだった的な。でもそうすると、「君は時間」「僕の時間」てっていう、謎の表現になっちゃって、益々分かりません。直訳で、「季節」でも同じ。違和感ある。

セゾンって何なの?

 

物語の時勢

ここでちょっと別の視点へ。ぴゅーっと。

まず歌詞の最初のパートは、一緒に過ごした季節の後の回想って感じですよね。君がいなくなった後の。で、道端咲いてる雑草のとこからが、物語の始まりと考えていいんじゃないでしょうか。

閉じた世界にいた僕が、君と出会った。出会ったというか、一方的に、君が来たと。突然イヤホン外されたと。この曲のフックになってる英語のとこは、君が僕に言った言葉で、ここが英語になってるのは歌詞としても結構突然です。

まさに、突然イヤホン外しちゃうような「君」の異質性を表してるよう。あと、想像をかきたてる。てちやねるに言われてるように感じられて、ハァハァする(もう救えない)

で、そこからは二人の「恋」と言ってもいいと思いますが、正に二人の季節が始まる。でも、次のサビは「君はセゾン」になる。ここが「二人セゾン」ならまだ、あぁ、二人の恋の季節が始まったのね。と思えるけど、君はセゾンになる。

なんなんだ?君は僕を外に連れ出してくれた女神的な?

そうすれば、最後の「僕のセゾン」も辻褄は合います。だけど肝心の「二人セゾン」が「二人女神」でワケワカメ。僕は女神じゃない。むさ苦しい。

さっぱり分からない。

 

春夏秋冬

歌詞を読むと、春夏で恋をして、秋冬で去っていく、とあります。春夏は、生命力が溢れる季節。秋冬はそれを蓄える季節。どっちが外向きかと言えば、春夏ですね。となると、春夏が「君」で秋冬が「僕」っていう解釈もできなくもない。

「君は僕の春夏」だと、割と綺麗に意味は通る。自分は内にこもる秋冬で、二人合わせると春夏秋冬になる、と。でも、なんか違和感ある。秋冬は去っていくのだから、僕が去っていくことになっちゃって変だ。

そもそもセゾン=春夏だと「二人春夏」で、秋冬の無いトロピカルアイランドになっちゃう。変。

そもそも「セゾン」は、それぞれ別の意味なのか?

?

 

うなる

ここからうなりました。うーむうーむ。セゾンの意味が、別々に色んな意味を持ってるにしても、どうにか何か腑に落ちる解釈が欲しい。というか、ここまで来たら、なんかすっきりする解釈が欲しい。

で、我々一生懸命探しました。

セゾンさん、見つかりましたよ。

 

セゾンさん

歌詞を眺めながら、はたと気がついたんですが、僕はそもそも「どこにいるのか分からない」んです。いや、僕としてはいるんです。半径1メートルの世界に。でも、周りからは、どこにいるのか分からない。

周りの人、つまり「君」や、他の人たちがいるのは、「季節が巡る世界」です。で、僕の半径1メートルの世界は、「季節が巡らない世界」で、もっと言うと、「1日も巡らない」んです。

ずーーーーーっと、同じところにいる。

イヤホンの中の、圧倒的に閉じた世界にいる。

そこへ君が登場して、僕の季節、僕の1日が、ようやく動き始める。「昨日と違った景色」を見て、日常が輝き出す。「季節が巡る世界」っていうのは、閉じてない開いた現実世界というか、人との関わりがある日常で、日々変化するもので、体温を感じるものというか…

僕がいた世界が、無味乾燥の色の無い世界だとしたら、僕以外の世界は「彩りのある世界」みたいな感じ。

で、セゾンはこの「彩りのある世界」のようなものを表してるんじゃないかと。君は僕の「彩りのある世界」の人だし、二人の恋は正に「彩りのある世界」のできごと。

これがセゾン。

この辺はちょっとニュアンス的なところですが。

 

生きるとは変わること

「生きるとは変わること」という歌詞にもあるように、この歌は、変化を歌ってます。(なんかここの歌詞、変わるじゃなくて、がんばるとも聞こえるけど)まぁとにかく、変わること、季節の移り変わり、恋をして、去っていくという、人間および地球の変化を歌ってる。

そして、折々の色が四季を作って、そのどれが欠けても、永遠は生まれない。と言っている。永遠というのは、「果てしなく続くこと」ですが、ここでは、「すべての生の営み」という意味合いなのかなと。

ちょっと話がでかくなりましたが、彩りのある世界で、色々な色と混じりあい、変化していくことが、生きていくことなんです。だから、無彩色の閉じた世界では、僕は変化しない、つまり、生きていないのと同じです。

AメロBメロの歌詞から推測すると、僕はもう、変化するなんてことは思ってもいない。閉じた世界にいるのが当たり前の状態。あきらめるとか、そういう感覚も超えていて、僕は変化のない世界に閉じこもってる。

 

桜と未来と日常

その僕が、君と出会って、変わった。

桜の例えのとこが、個人的に本当に好きで、ここだけでご飯3杯行ける。

花のない桜を見て、満開の日を思うことがあったか?と。

閉じた変化の無い世界にいた僕は、桜の花の生まれ変わりなんて、思いもしないんです。桜の木なんて、ただの木なんです。それが、君と出会って僕は変わり、このただの木も、春には満開の綺麗な花を咲かせると、想像できる。

つまり、未来への想像。

閉じた世界にいると、変化が無い、1日も巡らないので、未来なんてない。明るい未来なんて、鼻で笑う対象でしかない。個人的に、この感覚も分かります。もっとずっと若かった頃は特に、そういう否定的な態度をとっていたように思います。

私はこの主人公の僕のように、劇的な出会い、恋はしてませんが(泣)、それでも、その頃よりは、人と関わることの喜びも知ったように思います。そして、お花見とかそういうイベントごとも大嫌いだったんですが、ある時、桜の花を見て、純粋に、それはもう単純に、綺麗だなと感じたことがありました。

そうすると確かに、花のない桜の木を見て、満開を思うこともあったりして、あぁ、この桜も、春には咲くんだなぁと思ったりしていて、なんだか自分のことのようで刺さりました。

僕は君と出会って変わって、見える景色が変わったんですよね。

満開の桜を思い、イチョウ並木の色づきを知り、キンモクセイの香りを吸い、空の表情の変化を知り、海の潮の満ち引きを知り、春夏秋冬の風の匂いを感じる…。

はい。

ぜんぶ妄想ですが、恐らく僕は、君と出会って、そういう何気ない日常の変化を感じられるようになった。彩りのある世界を、君と一緒に、生きられるようになったんだと思います。

 

二人セゾン

ですが、冒頭の回想、最後の方の歌詞を見ても、君がいないのは明らかです。僕を連れ出してくれた君はいない。

これは、僕にとっては、傷であり、痛み。

閉じた世界は変化はないけど、傷つかない。外の世界は喜びもあれば悲しみもある。君が去っていったのは、明らかに自分にとっての傷だけども、後悔はしてないと言ってる。【「後悔はしてないか?」だったので、言い切ってはいませんでした。】

これから先、君が連れ出してくれたこの彩りのある世界で、生きていく…と。もう、閉じた世界には戻らない…と、僕は思っているんじゃないかと思います。その旅立ちの前に歌われたのが、「二人セゾン」で、君への感謝の歌でもあるんだろうなぁと思うと、なんかキュンとします。

そして、歌詞の中では唯一出てこなかった「僕は」セゾンを、これから巡っていくんだという、予感も感じさせる、まぁとにかく、そんな胸キュンソングなんだセゾン。

はぁ…。

この気持ちは何だろう?

はぁ…。

 【追記】MVも深堀してみました。

⇒MV「二人セゾン」なぜ、平手友梨奈は我に返るのか?

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